次なるブログのお題。ちょっと今日は身体が疲れ気味なのでニーチェは後回し。このあと札幌駅に行くんだけど、それも30分も前から構えるのは今日の体調ではちょっと危ないのでTLみながら移動しようと思う。
☆「現代文化」とは
おきまりのパターン。
現代は言わずもがな。ただ、昔60歳くらいの人の話を聞いていると「20年前は最近」とのたまっていたのを覚えている。20年前と言えば、今からすれば1998年である。携帯電話はあったけど、スマホはない、ウィンドウズは95か98を使用していて、WordやExcelの拡張子が今とは違った時代である。ICカードもなく、自動改札がない駅は今でもあるけどもっと多かった。僕の生れ故郷の駅はまだ旧駅舎でレトロな雰囲気だった。
ということで、スマホが出てきてから後くらいにしておかないと広くなりすぎる感じがするので、そういうつもりで。文化は、ホビーから生活様式・価値観と「文化」といえば結構何でも書けてしまう感じ。でも、想定されてたのはオタク文化だろうということで。ひとまずその辺から。
☆オタク文化・マニア
オタクと一口にいっても二次元から鉄道(鉄道だけでも乗り鉄・撮り鉄・きっぷ鉄・時刻表鉄・音鉄・駅訪問オタクなどなどジャンルが細かい)までいろいろあるのだけど、たくさんある種類の中で何らかのオタクになっている、そういう趣味を持っている人はかなり多い。前話を聞いたことあるんですよね、自分はオタクでも何でも無いという人でも周囲にオタクはそれなりにいるらしいとか。
そういえば、僕の知り合いも薄い本買っている人はいる。メ○ンブックスに出入りしているとかしていないとか。二次元が好きだとか。もともと、漫画好きだったようなんだけど。僕ですか、ろくに買ったことないですよ。
で、結局「~について」なのでかなりお題は抽象的というか何でもありな感じがするのでここからは僕の勝手な珍説でも書いておこう。そうじゃないと僕が細かい二次元キャラやタイトルに詳しいわけじゃないので紙面が埋まらない
☆オタクとマニア
僕の記憶で間違いなければ、かつては「マニア」といっていたはずだ。ということで、ちょっと気になったので辞書引き。
ウェブの辞書(https://www.weblio.jp/content/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2)によると「マニア [1] 【mania】特定の分野・物事を好み,関連品または関連情報の収集を積極的に行う人。 「鉄道-」 「切手-」 → おたく(御宅)一 ④」とある。
最後まで読んでみると「おたく」という文字がある。おやおやどうやらもともとは漢字を当てる言葉だったらしい。しかも、同義語扱いつまり同じ意味として理解していいということになる。オタクというのはおそらく一世代前にいわれたマニアとそう指していることに大差がないんじゃないかということになる。
この点はWikipediaネタなので話半分だが、オタクという言葉は1970年代くらいには既に存在していたようである。ちなみに、先ほど掲載したウェブ辞書には1980年代と書いてあった。戦後だと言えば、比較的最近のようにも思えるが、70~80年代となるともう30~40年も前の話である。
☆オタク文化は新参者か
読者の方々は、オタク文化が「古いもの」という認識はないかもしれない。しかし、最近僕は「古い」とはいわないが、少なくとももう「斬新な」あるいは「新規参入」といわれる「文化」という地位は既に失っているのではないかと思うことがある。
既にそのような言葉が出回るようになって久しいことが大きな理由である。1980年代から使われ…と辞書に書いてある、昨今の使われようからしてオタク文化が相当な人口規模と認知度を持っていることはほぼ間違いないのではないだろうか。「こういう珍しいのがある」という段階から、「何かしらのオタク・マニアであることは珍しくなくむしろ多い」というステージに移行している・移行しつつあるのではないか。
何が言いたいのかというと、現在は何十年か前とは違い何らかのオタクになっている人はむしろ普通にいて、既に定着しているものとして僕には見えているということである。
もしかすると、この見方ですら甘いかも知れない。そういえば、このあいだ網走への道すがらオホーツク3号でご一緒した年配の方はカメラオタクだった。20本はレンズ持っていたようで、大半は若い時代に手に入れたという。そうであるならば、オタクやマニアという概念が存在していなかっただけで、そのような営みにはかなり長くあったのかも知れない。
こう考えると、ますます「新規参入」とは考えにくくなる。もちろん経験談からの推論の域を出ないわけだけれども。でも、この推論から出てくるのは「オタク文化は既に成熟期かもしれない」ということだ。
ところで、「成熟」という単語も辞書で調べれば、それなりの意味が出てくるだろうけど、具体的なものを示せと言われると結構難しい。
人間としての成熟というのであれば、身体・精神いずれもあり得る。僕は後者で使うことが多いのだけど、これが実に難しい。昔はとにかく大人の対応・現実(そもそもなにをもって「現実」というのかという深刻な問題があるけど今回はパス※)にあわせた対応が出来るみたいなのを漠然と人間の成熟と思っていた。だけど、最近はそうでもないと思う。悪い意味で大人といったらいいだろうか。そういう人は実に常識的な振る舞いをするのだが、そのせいでこっちが疲れてくる。これ、成熟じゃなくて老化ではないかと思う場面が増えてきた。「子どもっぽい」ものが全くないというのはこうも人の魅力を下げるのかと思ってしまったのである。もちろん、僕個人の感想である。
成熟期というは指摘してみたものの、何をもって成熟と呼ぶべきかそれが完全にはわからないという前提で続けよう。
☆オタク文化の将来
特に二次元だ。僕がやや気になるのはラノベの動向である。どうもたまに新刊をながめていると「これ、前発売されたやつと同じ展開じゃないの」というのが結構目につくのである。いや、全部ちゃんと読んだわけでもないんだけど。タイトルとあらすじと登場人物をみると「なんとなくこれ、こういう展開が途中で入っているのかな」と想像できてしまう瞬間があるのだ。
これをどう見るかはわかれる。悪く言えば「停滞」である。よくいえば、ある種の「様式」みたいなものが整ってきたということなのかもしれない。現時点で僕は断言する材料を持ち合わせているわけではないのだが。
鉄道業界、いまは中学生でもかなりの写真を撮ってくるし、乗りつくしも相当進めてくる。最長片道切符はJR版からIGR版が流行るようになった。僕が注目しているのは、撮り鉄業界。今現在「これがいいよね」といわれていたものが、10年後・20年後どうなっているのだろうか。ひょっとしていま出回っている写真も「流行」があるとみるべきなのだろうか。
そしていま若年層があまりいなくてピンチなのがクラシック業界。とある指揮者はベートーベンの第九を「無からこんな(素晴らしい世界を)作り出すことが出来る」と子どもの頃感激したという。そしてクラシック音楽こそ一生をかけるのに相応しいと思ったらしい。
しかし合唱曲なら歌がついていることもあるが(ただし多くは外国語)、全くつかない曲も多い。だから、他のジャンルとは違って作曲家のメッセージを読み解くのは時間もかかる。悪く言えば「わかりにくい」とうつってしまうのかもしれない。
☆シンプルになった?
クラシックって本当に流行らなくなったなあと思う。特に超古典やブルックナーのような大作。後者の交響曲第8番は、通して演奏するのに75分以上かかる。75分集中するのも大変だし、75分以上の時間をかけて表現したかったことは何かを探るのはさらに大変なことだ。
そのジャンルに魅力がないからだと突き放す主張もあるとは思う。ただ問題はその中身だ。それがもし単に「複雑だ」「シンプルじゃない」といったあたりから来るのであれば、僕は要注意だと思う。
少なくとも人間の考えていることは単純なようで実は結構複雑である。例えば「善意」ひとつとっても解釈は容易でないと思う。まあ、全部「偽善」と片付ければ解決するという声が聞こえてきそうだが、個人的にはそういう立場ではない。
「全部が善意でもなければ、また悪意だというわけでもない…もちろん善意ばかりではないが、善意もどこかには含まれている」小説の一節を書き換えたものである。また違う小説にも「(1人の人間に)光も闇もある」という言い方をしている。何が言いたいのかというと、「この人はこうだ」「この人のメッセージはここにある」というのはすぐにわかるものではなく、少しずつ明らかになっていくものだということだ。
逆に言えば、シンプルに「すぐにわかる」というのは作者の世界に到達できていないか、到達できているのだとしたら作者の世界は実はあまり奥が深くないのかも知れない。
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