(名護市長選)与党系逆転成功か・オール沖縄敗北も

名護市長選最終予想を更新しておく。

判定:渡具知がわずかに上回る気配も稲嶺と横一線


実際のところ、構図としては大きな変化はない。ただし、期日前投票が通常より大幅に伸びているなどいくつかの情報から公明が自陣の引き締めに成功したと判断した。逆に立憲民主に関しては情勢報道以上に自陣をまとめた情報がなく、稲嶺への集中が6~7割程度に留まっている可能性があると判断した。

そのため、前回の予想について公明と立憲民主の部分に修正を施した結果、誤差の範囲だが政府与党系の新人が数字上前に出た。そのため、現職・新人横一線→新人・現職横一線に変わった。

想定投票率は前回~前回よりわずかに低い程度を想定している。

ただし当日の投票が伸びた場合は現職が有利になると見ている。



☆名護市長選で政府与党が勝利することの意味

オール沖縄の敗北である。地元が基地建設に同意するメッセージになる可能性が高い。そのため、いままでほとんど進んでいなかった建設が一気に進みそうだ。ちなみに、名護市は工事に必要な権限の一部を持っているという。

また、地元が同意する以上県知事がそれを止めるというのは矛盾になる。秋に予定されている知事選挙にそもそも立候補できるのかどうかすら怪しい。それくらい決定的な打撃になる可能性がある。

政権与党としては、自らが正しいと考える安保政策を一気に推進する起爆剤になるだろう。改憲にも弾みがつきそうだ。日本の将来に一定の影響を与える結果になることは間違いない。


☆与党の戦略か、無党派票か

持ち上げておいて、不満が続出しそうだが、これが「政権与党への支持が広がった」とみるべきかどうかという点について触れておきたい。確かに与党が勝利すれば、世論という水物だ。県知事選挙も明るいのかも知れない。

しかし、肝心の無党派は厳しい視線を向けている。今回の構図は、公明党が推薦を決めて自陣を引き締めたことによるところがおおきい(公明は昨年の衆院選の比例区@名護市で2割程度の得票がある)。基本的には組織政党とみられている。この点から考えれば、部外者に支持が広がったと結論するには他に確実な根拠がいると思う。

公明に推薦を出させて、公明陣営を引き締めさせたのは与党の合理的な戦略だった。

ついでだが、若い世代は相対的に政権支持が多いというコメントが結構見られる。確かにそうだとは思うが(情勢調査にものってた)、それは全員支持というわけでは当然無い。高齢世代に政権不支持票があるといっても、賛成票も3~4割あるとみられるのと同じである。だから、世代間の違いというのはここではそれほど意味がない。

むしろ、地域間同士の比較をした方がいい。沖縄は他の地域より中央政府に対する潜在的な不満が根強い。これが意味するのは今回はこれで終わっても、また今の政権与党が敗北するという形で再度不満が示される可能性はありそうだということである。



最後に、基地問題については日々いろんな情報が流れている。時には大手メディアが信用できないという主張と抱合せで色々流れてくる。ただ、大手メディアが行っているであろう取材すらしていないネットに流れたツイートやネット記事が真実という保障はなおさら出来るはずもないだろう。

唯一確実な方法は、現地に行って当事者と対話をしてくることだろうとは思う。


(追記)18/02/04加筆

基地問題の賛否はともかく、必要性があるとしたら専ら安保政策の上云々というところだろう。その限りでは賛成も反対もあり得るということにはなる。ただし雪国ではないし、面積も北海道みたいなことはない。北海道みたいな「冬の維持費だけで苦戦」は当分なさそうだし、比較すると人口もそこそこいる。少なくとも経済的な問題で必要性が論じられるということはあまりないように考えられる。

安保と言えば専ら国外からのリスクを指すことが多い。そのリスクというのが誰に対するどういう中身なのかという問題もあるがここでは立ち入らない。

ところで、われわれは日常生活を送っている。日常でも病気やけがなど様々なリスクは存在する。そういったリスクに対処していくために、国家予算で様々な政策が実行されている。

社会保障や教育がその代表例である。こうした政策・予算は、われわれ自身に直接生じるリスクから守ってくれるものであろう。もしも、今後外からのリスクに対処しようとするあまり、そうした予算が圧迫されるとしよう。その先に見えるのは、外部からわれわれが不利益を受ける前に自分たちが身近なリスクに晒されそれをまともに食らう(例:病気になっても自己負担が増えてしまって治療を受けられない)という本末転倒のリスクである。

だからこそ安保政策といっても、安保だから直ちにOKかというとそう簡単に話は進まないかもしれないと思う。具体的に必要性・なぜその手段がいいのか(ダメのなのか)・他のリスクとの衝突についてはより説得力のある議論が求められるだろう。


簡単な結論、Twitterの140文字文学(そう称するとお怒りの人が続出しそうだけど)でなんか一見もっともらしいことが書いてある投稿…ほんとわかりやすいシンプルなのだが、そうはいかない。

このあいだ、不登校の生徒を頑張って戻そうとする先生が問題ではないかというツイートを見て僕は「その戻すという発想から自由になろう」とコメントした。それは戻すが最善かわからないからである(専門家はやらないほうがいいといっていたように記憶しているが)。

では、どう不登校の生徒と接してどう生徒の生活を作り上げればいいかというと皆さん答えられるだろうか。戻すことを絶対視する・第一優先にする必要はないということは意外と簡単だったかも知れないが、その先の問いになると突然答えるのが難しくなる。

困ってる友人に君はなんと声をかけるだろうか。こっちの方が簡単な問かも知れない。でも、僕は何度も判断ミスしたことは覚えている。しかし、いまだに何が正解がわからないままだ(あ、僕の頭が悪いだけか)。

何が言いたいのかというと、具体的な課題に「絶対」を見出すのはかなり難しいことだと言うことである。安保もまた然りだろう。


確かなことは、どこのどういう人でもどこかで生まれそしてかけがえのない1回限りの道を歩いているということであろう。いままで復活した人も不老不死だった人もいないのだから。これに背いた判断が破綻するであろうということはとりあえずいえることだろうと思う(※この3~4行重要)。





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